「性」と一言でいうけれど、
少なくとも、大きくわけて、
3つの性があるよね。
一つは、「心の性」
二つめは、「身体の性」
三つめは、「好きになった人の性」です。
性別は男と女という二つに分けるだけでは足りないよ。
男性や女性など生まれた時の身体の性と、生きたい性が違う人、
男子、女子に当てはまらない自分だけの性を持つ人、
たとえば、中性的なこころを持つ人や
男子にも女子にも関心がない人など。
好きになる相手の性と自分の性が同じ場合もあるね。
また言葉では説明できない性の感覚を持つ人もいるかもしれないね。
そしてそのことで悩んでいる人もたくさんいます。
あなたはどんな性で生きたいかな?
それは自分で決めていいんだよ!
11人に1人と言われる(2018年 電通ダイバーシティラボ調べ)多様な「性」。
顔つきや性格が違うように「性」のあり方もその人の個性だから、
どんな性も正解だし、どの人も尊重されるべきだよね。
Lはレズビアン(Lesbian)
Gはゲイ(Gay)
Bはバイセクシュアル(Bisexual)
Tはトランスジェンダー(Transgender)
Qはクエスチョニング(Questioning)とQueer(クィア) の頭文字をとったもので、
セクシュアルマイノリティ(性的少数者)をあらわす言葉として
使われているよ。
レズビアンは、女性同性愛者
ゲイは、男性同性愛者
バイセクシャルは、両性愛者
トランスジェンダーは、からだの性と心の性が違う人
クエスチョニング&クィアは、自分でもはっきりしない状態だったり、
定義(どれかに決めることを)しないでいる人のことです。
「LGBT」は聞いたことある、という人が多いかもしれないね。
人を性でジャンル分けする必要はないけれど、理解を深めるために知っておこうね。
最近では、タレントや政治家の人も、自分の性を
公表(カミングアウト)する人が増えてきたね。
また、同性のカップルを支援する「パートナーシップ制度」を導入する県や
市区町村が増えたり、学校の男女の制服の決まりがゆるくなったり、
LGBTQの社員を積極的に採用する会社が増えたり、少しずつ、
社会も変わってきているけれど、まだまだ現実には、学校や家庭で、
いやな思いをしたり、理解してもらえないで悩んでいる子も多いと思います。
よりそいホットライン
0120-279-338
24時間(年中無休)通話料無料
LGBTQ当事者の先輩にインタビューしたよ。
自分らしく生きるってどんなふうなのかな?
自分の気持ちを無視しないで、自分を伺ってあげたい
Sさん・東京都在住・21歳大学生
―Sさんが自分の性に関して認識したのはいつごろでしたか?
いま思い返せば・・なのですが、いろいろな出来事があって、徐々に認識してきた感じがします。
覚えてる限りで最初のものだと、小学生低学年の時、クラスの女の子集団に羽交い締めにされ、ホームルームの時間にみんなの前で下半身を丸裸にさる、なんてことがありました。その時は、ただただ恥ずかしくて。
その後、高学年になってからも、男子同士でプロレスごっこ?をしてる時に、多人数に押さえつけられ、上に乗っかられてズボンを脱がされる事が何回かあったり・・・。
小学生の頃は、まだ小さかったこともあり、いじられているという感覚、というか遊びの延長線上で、自分に力がなかったから「負けてしまった」って感じていた気がします。
あと、結構深く心に残っているのは、友達の家で見たグロテスクな成人誌。その暴力的で一方的な性描写にとても嫌悪感を覚えました。
はっきりとした転機は、地域のお祭りで、酔っ払った中年男性に、首を絞められ、股間と胸部を鷲掴みにされたことでした。
―ひどいですね。それはもう性暴力ですね。
中学では、髪が長かったり、まだ身体も未発達だったせいか、電車で後ろからズボンに手を入れられたりも。
でも一番忘れられない経験は、大学2年生の時、勤めていたアルバイト先の店長に言われた言葉でしたね。
―偏見によく耐えてこれましたね。そういった経験を経て、自分の性を認識した?
実はいじめや事件だけでなく、家庭環境も大きい要素だったのかな、なんて思ってるんです。ぼくは母子家庭だったので、身近に大人の男性を見て育ってこなかったことで、男性の模範がなかった。
また母親と父親が不仲(仲が悪かった)だったので、「父親は最低な人間」という母の言葉を聞いて育ったことから「大人の男は最低」だという認識がありました。
母が忙しく祖母に育てられたので、日々祖母に気に入られたい思いからか、裁縫などの女性的な趣味に興味を持ちました。
母親も、僕を息子としてよりは、娘とか女友達感覚で接している感覚だったように思います。
―なるほど。家庭環境が自分らしい性の形成を後押ししたかたちですね。恋愛対象はいつからはっきりしたんですか?
実は、高校入学当初までは特に性的なものに対する違和感に自覚がなかったんです。
周りと同じように、普通に異性と恋愛して、って何も考えず。
自分の内側にある違和感に向き合うようになったのは、高校生になってからでした。
高校生の時に、お付き合いしていた女性と、深く信頼したいい関係になったのですが、ある時、相手に対して性的な欲求を感じた自分自身に気づき、そうした自分に嫌悪感や不潔感みたいな気持ちの悪さを覚えたんです。
それからでした。当然身体は成長しているので、どんどんと“男”になっていきます。そうした自分の男性的な部分が気にかかるようになり、否定的に見るようになりました。
大人の男になることに抵抗感を感じるようになりました。
なった、というか、自分の奥にあったものに気づいたというか。
―大人の男の感覚とは?
汚く、暴力的、傲慢、支配的な感じですね。勿論、偏見ですが。
性にまつわるもの全般に対しても嫌悪感を感じました。
―まずは、自分の男性の性に否定的になったんですね。恋愛対象もその後に変化しましたか?
大学の時に本当に仲良くなった同性の友達を、とても愛おしく思いました。それは、恋愛感情とかどうとかって、はっきり区別できるものではなかったし、区別したいとも思いません。
そして、そんな風に感じられた事が、本当に嬉しかったんです。
―こうして聞いてくると、Sさんの性への認識は、とても繊細で、いくつもの経験により決定づけられた感じがしますね。いまはどんな感じですか?
ぼくは、未だに性的なものには嫌悪感があります。
明確な“何か”に分類されたくない 何か決まったものになってしまうのが怖いですね。
今は、何でも分類するカテゴリーがあって、何だかなぁと思いますが、敢(あ)えて当てはめるならば“Q”クエスチョニングなのですかね。
正直、男や女と言った分類はどうでもよくて、自分が心地よく、自身を受け入れて、必要以上にストレスがなくていられる状態でいたいなと思います。
性別にこだわる事は、僕にとっては少し息苦しく感じられます。
自分勝手かもしれないけれど、それくらい自由さを自分に許してあげたい。
いつか、心から信頼し、一緒に過ごしたいと思う人ができれば、性別に関わらず近づこうと努力するかもしれません。
―最後に今悩んでいる当事者の中高生にメッセージをお願いします。
僕は今まで、人に好かれたい、気にいってもらいたいと、まわりに機嫌をとってきました。例えば、ナヨナヨしてる男はウケが悪い、とか(笑)
でも今は、僕は僕という人間と一緒に過ごせています。
これからも僕はずっと僕と一緒です。
だから僕は「自分の機嫌(きげん)」をとりたいです。
「自分の気持ちを無視しないで(自分を)うかがってあげたい」
そう思っています。
こどものときから、いくつものいやな出来事を経験しながらも、
「その経験は自分だけの特別なもの(体験)だった」と語ってくれたSさん。
Sさんが言った「自分をうかがってあげたい」とは「自分の気持ちに添って生きたい」と聞こえました。
インタビューの最後に、紙に描いてくれたのは、一本の線。今の自分だと言います。
「これまで生きてきた全ての瞬間が
小さな点となり繋(つな)がってできた
軌跡(きせき)が自分の今現在。
無限に近い点のつながりでできた線は、
どんなに近くに寄ろうと、けっして他者と重なり合う事はない。
それくらい自分と、そして他者は独立したもので、
その感じるトコを比較したり同じくする事は出来ない」
と語ってくれました。
うーん深い~!世界に一つだけの自分という軌跡(きせき)ということだよね。
Sさんありがとうございました!
*もし「自分の体験や思いを話したい」という人がいたら以下からご連絡ください。コメントや体験談をこちらで紹介させていただきます。待ってます!